やりたいことがない = TEAM31 

初めまして、代表のゆうもんです。自己紹介しますね。

TEAM31の代表のゆうもんこと長嶋優門です。実は、「ゆうと」というのが本名ですが、漢字の影響でゆうもんと呼ばれています。

 

 

たくさん強い言葉を並べたブログを書いてきましたが、自己紹介を忘れていたので遅ればせながら書いていきます。

 

 

あまり1on1なんかをしても過去を赤裸々に話すことってないのでここに残しておきます。

 

 

 

僕のこれまでをまとめるなら、

自分軸を見失って社会や誰かの意見に流され続けたことと、
人の幸せを考え続けてきた人生です。

 

 

 

 

少年期

教育系一家の3男として生まれる。一番優しい顔をしているからと「優門」という名前を付けられた。

 

生まれて物心ついたときに、一番記憶としてあるのは父の怒鳴り声。
今はとても優しい父ですが、当時は僕が生まれると同時に起業を決意して軌道に乗せるために奔走していたということを最近聞いた。

 

 

父親の部下を怒る電話を聞く中でマネジメントや人の教育をする中で、どんなことを意識して言葉がけをすべきなのか父を反面教師に考えていた。

 

 

怒鳴り声が聞こえる家庭で母親も疲れた顔をして帰ってくるのを見ていた。

これだけならいいが、、、

母が僕に「ダイエットしようかな~」「お庭を可愛くしたいんだよね」「おいしいものつくりたいね!」とやりたいことをいったあとに、
すぐ「でもいいや忙しいし」「私なんか」「やっぱりいいや大変そうだし」こんな言葉の繰り返し。

 

 

 

でも、明らかに何かをあきらめた顔をする母を見てどうして何かを諦めるんだろう、
どうして楽しく自分のやりたいことを素直にやらずにいるんだろうと疑問を持つ。

 

 

人に降りかかっている笑顔になれない現実の原因がわからなくてあれこれと考え始める。
保育園のころからトイレで人はなぜ生きるのかなんてことを考えるくらいには変態でした笑。

 

 

でも、表側はそんな母を笑わせたり、注目されるのが大好きなわかりやすい末っ子。

とにかく下ネタと変顔を繰り返しながら保育園では顔にひっかき傷をつけて帰ってくるほどやんちゃでそのあとは小学生まで消えませんでした笑

 

 

 

 

小6のある日、家族会議が開かれた。そこで、言われたひとこと

「うちの会社はゆうとに継がせる。お前は社長の才能がある。」

 

 

面食らいながら僕は、何も判断基準がない中で「わかった」とだけ言って、そこから経営者になることを志すことになる。

 

 

 

 

 

 

青年期

私立中学にはいってそれからは、兄が勧めるのを受けて学級委員長になった。
校則を正解だと信じて友達を注意した。

 

 

いつしか気持ちよくなって正しさを振りかざす自分に酔っていた。
自分は悪者にはならない謎の安心感があったのかも。

 

 

 

ある日、不良生徒を注意して取っ組み合いになった。
その時、先生にこう言われた。

二人ともうるさい!!

 

 

僕は、正義を執行していると思っていた。
自分も悪者なのかと思ったとき何が正義かわからなくなってしまった。

今は、もっと複雑に正義とは成立するとわかるが、当時は答えが一つだと思っていたんだ。

 

 

 

陸上部の部長にもなった。

同期の男子は僕一人で女子は僕の言うことを聞かなかった。

 

 

本気で練習をやるやつはいなくて、先生がいなければ、「メニューを減らそう」の一点張りだった。

優しくそれに呼応すると「優しいね!」と言われる始末だった。

僕は一人でメニュー通りの練習をこなした。

細く小さい体で、ある程度努力はしたけど、特に目立った成長もしなかった。

それでも委員長時代の独裁ぶりを3年生になっても女子に言いふらされて、嫌われた。

 

 

 

もう疲れた。そう思っていた。
みんなから嫌われて正解がわからなくなった僕は、迎合することでただ悪者にならない道を選択した。

 

 

 

自分で責任を持つことを恐れたんだ。

それから、喧嘩もするし、人の悪口を言っていた僕は、めんどくさいことから逃げるように、聖人君主を目指し始めた。

ここからだと思う、人の声に耳を傾けすぎて自分の声がどんどん聞こえなくなっていったのは。

 

 

 

高校は、もう陸上はやめようとサッカー部に入りたいと父に伝えた。

そしたら、

「迷ったら厳しい道をいけ。弱きから強きには戻れない」

と説得された。

 

 

 

結局納得してしまって僕は陸上の道を進んだ。全国に進む強豪校。

 

 

僕の口癖は、

「俺陸上好きじゃないんだよね。親がやれっていうからさ」

 

 

これで強くなれるわけもなく、なあなあに楽しく恋愛をして消化した日々。
でも、部活で友達は増えて結構楽しかった。

 

 

ただただ進んでいく日々だった。
引退して受験になったとき、一橋大学を目指していたがいける気がしなくて父親に泣きついた。

一橋を目指すのも小学6年で父に言い渡された家業の塾を継ぐために学歴がある大学でビジネスを学ぶためだった。

 

 

 

父は言った。

「何言ってる。大学で経営なんて学べないから教育を学べるところにいけ」

勝手に考えて一橋を目指していた僕は面食らった。

 

なんだよ、じゃあ、早稲田教育にしようと進路変更してそのまま合格に至った。

 

 

 

わかる通り、これまで人の意見に流され続けて、人の評価におびえた。

自分を守るために、虚勢と言い訳を続けた。誰かに責任を負ってほしかった。
ただ褒められて好かれたかった。

 

 

 

自分で何かを決断することなんてあっただろうか??なにかにすがっていれば安心できた。

 

 

 

でも、大学生になって明確な評価基準はなかった。勉強をしてもだれも褒めてはくれないらしい。
就活も自分の生きたい道を選択するのが正解のようだ。

 

 

コロナでバイトなし、友達なし、サークルなしだった自分にとって何を頑張ればいいのか本当にわからなかった。

 

 

受験は一応毎日12時間勉強するくらいには本気でやっていたし、そういう時間の使い方が正しい、そうありたいと思っていた。

でも、何をしたらいいかわからない。

 

 

結局何もできずに大学1年生の1年間は、YouTubeを見ながらポテチを食べてコーラを飲むだけのニート生活。

オンラインで課題だけは真面目に出したからGPAは4.0中の3.9だった。

 

 

また、父親がささやいた。

「将来のためにも留学にいっておいたほうがいいぞ」

正解がわからなくなっていた僕はコロナで暇なのもあって勉強を始めた。

 

 

 

でも一ミリもできるようにならないし、やる気にもならない。
できるようにならない、難しいことばかりやっていたのが一因だろう。

それでも、だらだらとやり続けた。結局、留学に必要な基準は満たせなかった。

 

 

 

そこで、改めて僕は本当に留学に行きたいのかと考えた。人生の1年間を使って異国の地に行って何をするのかと。
まったくワクワクしないし、何も思いつかなかった。

「あぶないあぶない、また誰かの人生をいきるところだった」

 

 

 

 

ここで、やっと限りある命を何に使うのか考え始めた。
保育園のころから問い始めていて友達には言えなかった問が立ち現れる。

 

「なんのために人は生きるのか」

答えはすごくシンプルだ。

「幸せになるため」

 

 

では、幸せになるとは、どうすればいいのか。

それはもちろんひとそれぞれだ。

 

 

 

のどから手が出るほど留学したい人もいる。
でも、中学生で語学研修に行って何も成長しなかった僕は自分がそんな欲求持っていないって知っている。

 

 

本当は何をしたいんだろうか??
好きな食べ物を聞かれても迷ってしまう。
好きなゲームも時間を無駄にしてしまうし、勉強の邪魔だからって携帯ごとたたき割った過去がある。

 

 

 

旅行もまあ好きだけどそんなに。
趣味という趣味もなく、ユーチューブを見あさっているだけの日々だった。

 

 

何を幸せと呼び、何が大事なんだろうか?

あした死ぬとしたら、1年後死ぬとしたらどんな日々を送りたいだろうか?

 

 

 

自分の正解を探す闘争

そこで、僕はこのままでは何の答えも出せないと思い、このまま死ぬのだけは嫌だと思って行動に踏み切った。

起業の授業に出て、学生団体に出会った。

 

 

 

 

そこからはいろんなことがあった。

イベントを主催して、集客のために大学でナンパして
アパレル立ち上げたり、ビジコン優勝したり。
団体の代表にもなって。

 

初めてやったイベントが成功してなんでもできるんじゃないかと思って、希望を持てるようになった時の写真。

本当にいろんな思い出がありました。

 

 

 

それでも僕の心は完全に満たされたわけじゃなかった。
一瞬一瞬に確かに輝きはあるんだけど、心に輝きが残っていない虚しさはぬぐえなかった。

 

 

 

僕と同じように毎日に本気で熱中できるようになりたいと願う人がいた。

 

 

 

 

みんな大学生はやりたいことがみつかっていないようだった。

 

 

 

本当のやりたいことって何だろう???

やりたいことって仕事の中に見つかるんだろうか???

意義のあることって何だろうか?

 

 

 

それを研究したくてみんなの力になりたくて、とりあえずで始めた人生相談がボランティアで1000人を超えた。

この時にTEAM31を始めた。パーソナルで相談に乗るだけじゃ足りない。もっと多くの人にきっかけを届けたいと思い、イベントを企画した。

 

 

人生相談でお金をもらう覚悟まではできずに、父親の会社に新卒で入社。

それでも、諦められないこだわりは人の夢をかなえて直接人のモヤモヤを晴らす仕事がしたいということだった。

 

 

 

 

それは勉強を教える塾ではどうしても叶わなかった。

 

その思いを胸に独立してフリーで活動を始める。社会人の人生相談や自己実現を支援してお金をいただけるようになった。

 

現在

人生の意義という問いの話をし過ぎると自己紹介ではないので割愛するけど、
僕には本当に特段やりたいことがなかった。そして、もがき苦しむ中でやっと答えのようなものが見えて今は楽しく熱中する生き方ができているように思う。

 

 

ここまでの自己紹介を聞いても鬱屈としていてすごく暗くて悩み続けているように見えると思う。実際、そうだった。

本当にずっと灰色でしんどい日々。

 

 

その中で唯一続けられたことは人生相談だった。
大学2年生から初めて今までボランティアが95%くらいだけど1300人ほどの相談に乗ってきた。

 

 

 

僕は、勉強が好きで問題を解くのが好きだ。もっと言うと解けない問題などこの世にないと思っている。

だって100点が存在するのだから。

 

 

人は望めば幸せになれないはずないと本気で信じているし、やりたいことをやりたいようにやって好きに生きればいいと本気で思っている。

 

 

  • やりたいことがありすぎて困る。なら全部やれる人生にしたらいい。
  • やりたいことが思いつかない。心を殺している原因があるから心をとり戻せ。
  • 優先順位がつけられない。人生設計の技術があれば大丈夫。
  • やりたいとはおもうけど、理想すぎてあきらめている。絶対あきらめるな!!!!

 

たくさんの悩みがあるけど、それには解消法がある。

モヤモヤしてる人の笑顔が見たい。

 

 

日本人がみんな楽しそうに、言い訳も後悔もせず、何も考えず笑っている世の中を作りたい。

明るい笑顔が咲く家庭を増やして日本の空気を一変させたい。

 

 

自分のように、何かにとらわれて苦しんでいる人を救いたい。

エリートのように見えるけど、どんなに頑張っている人でも心が死んでしまっては意味がない。

 

 

希望と熱中を与えるきっかけを届けるために、TEAM31をこれからも推進して日本中100万人の若者に人生設計を届けたい。

「やりたいことがない人の登竜門になる」

 

 

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