TEAM31代表のゆうもんです。
僕実は、5年ほど悩み続けてきました。やりたいことをやっている、やりたいことを仕事にしている、なのに満たされないのは向かう先がわからないからです。夢や目標、ビジョンがないのが一番苦しいです。
ほんとに悩み続けてきました。団体もつぶしてきたし、プロジェクトも何個も壊した。
でも、ちょうど今日河川敷で一人でカメラを回しながら一人語りをしてたらマジで見えたかも。
プロジェクトのビジョンって正直社会的でなきゃいけないとは思う。
でも、今日はどうしても僕の個人的欲求と思いからきたビジョンを伝えたい。
なぜ個人的ビジョンなのかってのもまず説明しておきたい。
プロジェクトや事業のビジョンってどうしても社会の課題をどう解決するのかによりがちだったりする。
だけど、社会の課題なんて無数にあるし、全部解決したほうがいいんだよね。
あなたである必要がないんだよ。
どっちかっていうと大事なのはそれをやろうとするやつがどうしてそれをやり遂げたいのかっていう哲学と曲がらない腹の底からのまっすぐな欲求と確固たる信念。
そこでいうと、社会的意義はずっと考えてどうすべきかにフォーカスしてたんだけど、自分のエゴとか哲学と社会の連結点がずっと見えずに苦労した。たぶん、社会のほうにエゴを当てはめようとしてたから。
正解はエゴを社会にぶちあてに行くことだった。
僕のどうしようもないエゴは何なのか考えてみた。いいなって思う人、こうなりたいって人をあげてみようとした。
でも一番はいない、それはその人よりもっといい理想があるからに他ならない。
ならば、いいと思う人の要素と足りない部分を補う自分になってしまえばいい。
まずいいなと思ったのは、いとこでAIインフルエンサーのusutaku。
何がいいんだろう。目立っていることと信念を発信していることだと思った。あとは信念に即した仕事をしていること。
目立つってどういう状況かというと、その業界やセグメントの中で認知度No.1をとること。
でも、それだけじゃ足りない。それはなんだ??
日本を変えているという実感や空気だと思った。usutakuが有名になっても日本は変わらない。これはアンチではなく、構造上の問題で日本人みんながAIに触れる機会をつくることはusutakuが人気になるだけでは作れない。
まあ、もしusutakuがAIを本当に全国のこどもから大人まで広げたとしても、僕はそれになりたいとは思わない。
結局届けたいのは日本を変える感覚と自分の価値の感じるプロダクトでっていうところが肝。
日本を変えるってことを考えたときに、世界を変えたものや日本を変えたものってこれまであったかなと考えた。
真っ先に思いついたのがiPhoneだった。
一つのプロダクトで社会を一変させた。誰もが知っているし、ほとんどの人間が一度は通る道にある。
だから社会を変えたと断言できる。
今まで僕は問題解決が好きすぎてそれに固執していた。
でも、問題解決は人を選ぶし、マーケットが限定される。
その中で社会全体を変えることはほぼ無理といえる。
だからこそ、問題解決ではなく価値提案型ビジネスに切り替える。
価値提案型なら全員とおれるものを提案できる。
いいね、ピースは集まった。一つのプロダクトを全国民レベルに届けてその分野で圧倒的に目立つ。
ここまでが、欲求をベースにした構想だ。何がなんだかわからないだろうか。
でも、確かに見えるのは、僕が届けたい本質的なコンテンツを顕在的には求めていない子たちにも触ってもらい、認知してもらい、気づきを与えられる座組があればもはや一旦満足だと思う。
だけど、本質的教育も大切だからこそiPhoneがはやったあとのずれや弊害に対して人一倍対処したい。
まず、この社会に種をまいて芽を生まないといけない。
ずっと、このままではこの日本はやばい。だからこそ、人生が変わる分岐点を生むような種をまく。そして、芽が出る。
そこでくすぶる人たちをさらに深く変えてサポートするのは個人的注力ポイント。
でも、まず直近KGIは種をまききること。これで確定。
欲求の核をつかむ。それがビジョン構築において大事。Howは後から詰めていけばいい。
「日本の当たり前を変えるプロダクトを全国民に届ける」
「人に影響を与えられるくらい個人として目立つ」
「信念のある人間であり、それにしか人生かけてない状態」
これができれば本望だ。
この欲求がビジョンのピース、これを忘れない。
ここをベースにしながら、KGIや戦略を描き、ワクワクするものを描いていこう。
まじでワクワクしてきた。

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